ロンドンの万能感

遅刻癖が治らない。もうこれは一生付き合っていく病気なんだと諦めてるんだけど、そもそもこの遅刻癖はいつから始まったのだろう。

思えば社会人デビューの入社初日は遅刻で飾ったし、大学時代は言わずもがな遅刻しかしてない。高校のときは朝の小テストを受けれたことの方が少なかったし、小学校のときの集団登校の待ち合わせ場所に間に合ったのなんか最初の数日だけ。保育園のときに至ってはみんながスクールバスで通ってることを知らなかった。

そう考えてみると、今まで生きてきて遅刻してない時期がないんだなってことに気付いた。遅刻に対しての善悪の区別がつく前から遅刻してるから、遅刻とは常に身近な存在で、あるのがあたりまえで、生活にありふれたものになってた。だから、これを言うと怒られてしまうかもしれないけど、実は遅刻してもあまり罪悪感が湧かない。むしろ、ちゃんと集合場所に着いたことを褒めてほしいと思ってることすらある。(これについては方向音痴という別の病気の話が絡むためここでは割愛します)ただこれは、遅刻が生活にありふれた人間からすると至極当然な感覚なんだよね。なにも全部が全部に遅刻するという話ではなくて。ただ、生きてればそりゃ遅刻くらいするでしょ、っていう話。

 わかりやすく例えると、遅刻と雨はよく似ている。雨は皆に平等に降るのに、(うわ雨かよ最悪だ)と嘆く人もいれば(今日は雨か)くらいの感想しかもたない人もいる。雨が降る降らないは誰にも決められないし、生きてりゃ雨なんてしょっちゅう降る。まさに遅刻と同じだ。今日の私が遅刻するかどうかはまさに天のみぞ知るってこと。どうせ降るときは降るんだから、いちいち目くじらを立てずに寛大な対応をしてほしいと思う。たまに「わたし、雨は好きよ」って言う変わった人がいるけど、遅刻界隈にもそういう変わった人はいる。待たずに迎えに来ちゃうタイプの人たちね。あの人たちは感謝と恐怖を同時に与えてくれる不思議な存在。そもそも集合時間にまだ家にいる時点でいろいろ察してほしいけど、さすがにそこまで贅沢は言えない。悪いのこっちだし。

そんなことを言ってると「俺の待ち合わせのときはいっつも遅刻じゃん!全然平等じゃないでしょ!」と言い出す人もいるはず。待ってほしい。あなたは私にとってのロンドンなの。ロンドン雨めっちゃ降るし。霧の街ロンドン。なんかおしゃれじゃない?なんかいいかんじじゃない?つまりそういうことよ。逆に「え、わたしの約束にはきちんと時間通りに来てくれるわよ」と言う人もいるでしょう。その人は私にとってのサハラ砂漠。もうカラッカラ。干からびちゃう。さて、ロンドンとサハラ砂漠どっちが魅力的な存在ですか。そんなの断然ロンドンでしょ。さあ、機嫌を直して!雨を楽しもうよ!