そこに愛はあるのか
休日に久しぶりに本屋に行った。
急に活字が読みたくなったからである。
昔からたまにそういうときがある。
そこで抑えきれないこの欲望を満たしてくれる相手を探しに行ったわけだが、この行為のなんと浅ましいことか。
これは突然ムラムラしてきたのでサクッと風俗で欲を満たそうとする若者と何ら変わらない。
言わば俺は活字界のとんだ風俗野郎なのである。
適当によさげな相手を見繕い、自分が気持ちよくなることだけを考え、相手のことを理解しようとせず、満足すればあとはポイするだけのその場限りの関係。
ピロートーク(あとがきまで読むこと)など決して行われることのない、すべて自分本位の非生産的な営み。
果たしてそこに愛はあるのだろうか。
否、俺は本と愛のないSEXをしている。
そうして志半ばに役目を終えた本たちの亡骸が暮石のように自宅の本棚にいくつも鎮座している。
その墓石に刻まれた本の名前を目にするたびに激しい自己嫌悪に陥るのだが、どういうわけか毎回同じことを繰り返してしまう。
あんなに活字を読みたいという欲望に駆られておきながら、なぜそんなことが起きるのか。
答えはいたって単純で、活字を読みたい欲は本を選んでレジに持っていった段階で8割方満たされてしまうからである。
これがなかなか難儀で、本を選ぶ際にも始めの数ページほどには目を通すのだが、これだけでは全く満たされない。
ところが、これだと決めてレジへ運んで会計を済ませた瞬間、謎の満足感に包まれるのだ。
もちろん本を読みたい気持ちもあるので家に帰るとすぐに本を広げるのだが、数ページ読み進めるとたいていどうでもよくなっている。
もう興味は他のことに移っていて、ただ字面を追うだけの時間が過ぎ、気付けば本を閉じている。
こうやって我が家に次々と墓石が建てられていくのだ。
もしかすると、俺は別に本を読みたいわけではないのかもしれない。
思えば本を買ったときのあの満足感は、下手すると本を読破したときのそれに勝る可能性すらある。
だんだん言い逃れができなくなったきた。
ということは俺は「新しい本を買う」という行為をかっこいいことだと思っていて、でもその目的をカモフラージュするためにわざわざ「活字が読みたい」という自分への建前を用意して、さも読書好きかのような顔で本屋に行っていたということか。
ダサい。
ダサすぎる。
ダサかわいい。
いやかわいくはない。
そういえば、大学生の頃に似たような経験をしたことがある。
友人と東京に遊びに行ったとき、とくにやることも思いつかなくて秋葉原をウロウロしてたら巨大なメイドカフェの看板が目に入った。
「あー、メイドカフェ行く?」
誰が言ったのかは覚えていない。
気がつくとスマホ片手に秋葉原のメイドカフェを血眼になってリサーチしていた。
リサーチの結果、目の前の巨大な看板のメイドカフェがなかなかのメジャーどころで、評判も高めだったのでそこに入ることにした。
俺たちのボルテージは最高潮に達していた。
一歩踏み出せばそこにはメイドたちが俺たちの帰りを待っている。
そうだ、俺たちはこのためにはるばる東京まで来たんだ。
行くぜお前ら、準備はいいか?
最高の萌え萌えキュンを始めようぜ!!!!!
『『『おかえりない、ご主人様ー!』』』
「ただいま〜!」「あ…うぃっす。」
??!!!!
一瞬何が起こったのかわからなかった。
おい兄弟、一体どうしちまったんだ?
さっきまであんなに盛り上がってたじゃねーか。
なのになんでもうすでに一仕事終えたみたいな顔してんだよ。
一緒に美味しくなる魔法かけようなって約束したじゃねーか。
なあ、おい!!!!!
「えーと、あいちゅコーヒーください」
「じゃあ俺コーラで」
待てよ、ちゃんと「まっくろしゅわしゅわ」って言えよ!!!
この店にそんなもんねえんだよ!!!
なんだお前、モテようとしてんのか?あ?
『一緒に美味しくなる魔法かけましょ〜!せーのっ』
『萌え萌えキュン!』
「萌え萌えキュン!」「ははっ」
てめえ何笑ってんだよやる気ないなら帰っちまえ!!!
遊びでやってんじゃねえよ!!!
「いやーなんかさ、こういうのってお店入るまでがピークだよね」
まじでふざけんなと思った。
なんなのもう。
でもそっか、お前の場合「メイドカフェに行くこと」が目的になってて、入った時点でお腹いっぱいだったんだね。
今ならその気持ちわかるよ。
あのときはふつうにキレちゃってごめんね。
それから1年くらい経ったある日、そいつの財布を漁ってたら中からメイドさんと撮ったチェキが出てきた。
なんだよ、やっぱ楽しかったのかよ!!!
目に見えてるものがすべてじゃない。
そういう愛もあるのです。
おしまい